616_R4「個別最適な学び」と「協働的な学び」最終稿【椙村・寺井】
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小・中学校 教科指導(算数科・数学科) 34 68 学びを生かす経験を少しでも多く積ませていきたい。作成した学習課題をデータファイルとして蓄積していけば次年度にも活用できる。実際に算数科の実践では、昨年度作成したヒントカードをそのまま使用した。京都市全体でGIGA端末の共有機能を活用すれば、効率的に教材開発をすることができるのではないだろうか。 今回の「学習の個性化での問題発見・解決プロセス」では、指導者が作成したオーセンティックな学習課題を選択し解決することが多かったが、本来は子どもたちが学習したことをもとに、新たな課題を発見し解決していくプロセスである。今回の実践では十分に課題を発見する力を育むことはできなかったかもしれない。しかし、「個別最適な学び」や「協働的な学び」によって、主体的に対話的に学ぶ価値を子どもたちが理解すれば、オーセンティックな学習課題を作成しなくとも、子どもたちは探究的に学びを深め広げていくことができるだろう。 そのためにも、指導者も学び続け指導力を高めていくことが必要となる。教材で何を指導しなければならないのか、教科でどのような力を付けるのか、子どもが学習したことは生活や社会にどのようにつながっていくのか、日々の教材研究や、指導者自身の見方・考え方を伸ばしていくことが大切である。 第3節 今後の展望 2年間の研究を通して、「個別最適な学び」とは指導者の意識や授業の在り方を大きく変化させるものであると感じた。「個別最適な学び」は主体を子どもにした概念であるが、その実現のためには指導者が、子ども一人一人の特性や学習の理解度、学習到達度に応じて指導方法・教材や学習時間等を工夫し、一人一人の力を伸ばしていく「個に応じた指導」のことである。では、同じ意味であるにもかかわらず、なぜ子どもを主体とした「個別最適な学び」という用語を改めて提示する必要があるのだろうか。それは、学習を最適にしていくのは指導者ではなく子ども自身だからである。我々指導者は、「指導」という言葉を自身が教えていくものとして捉え、言葉かけも「~しなさい」「~~を使いなさい」といった指示する表現を無意識に使っていたのではないだろうか。たとえそれが強い指示の言葉ではなく「まずこれをしましょう」「次はこうします」といった丁寧な表現であったとしても、かえって受け身の子どもたちを生み出してしまっていた可能性もあるのではないだろうか。実践後に、子どもたちに学習方法を自己選択・決定できた授業はどうだったかを尋ねると、「自分たちの判断で解くのが楽しかった」「今までの授業は縛られている感じがして、今回は自分のペースで学習できるのが良かった」という意見が聞かれた。なぜ子どもたちはそのような発言をしたのだろうか。もしかすると「個に応じた“指導”」という言葉が、指導観を狭くしてしまっていたかもしれない。「個別最適な学び」は、単に「個に応じた指導」を言い換えたものではなく、子どもが自らの力で学びを進めていく力を身に付けていくために、より子どもを主体とした授業をデザインしていくようにという我々指導者へのメッセージだと考えられる。 今回は、算数科・数学科で学習方法を自己選択・決定していく授業を提案し、子どもたちの教科としての資質・能力を高められたと考える。ただ、「個別最適な学び」は子ども自身が学びを最適にしていくものであり、子ども一人一人の実態は異なる。初めから本実践と同じように全てを子どもたちに委ねても、子どもたちが勝手に学びを進め深めていけるとは限らない。子どもを主体とする考え方を大切にしながらも、指導者として十分な教材研究や一人一人の児童・生徒理解に努めていくことが必要である。その上で、何を委ねていくのか、どのような学習課題に取り組ませればよいのかを子どもの実態に合わせて考え、子どもが主体的に学び合う学習課題や活動を仕組んでいくことが重要である。 本実践を通して改めて提案したいことは、算数科・数学科に限らず、子どもを主体とした視点で授業をつくっていくことである。子どもは常に学びたいと思っている。「教える」から「委ねる」授業を行うことで、子どもたちの主体性を伸ばし、他者と共に課題解決していく力を高めていくことができると考える。その力はきっと、子どもたちの明るい未来につながっていくと信じている。 おわりに 研究を進める中で、学校教育の先にあるものは何か、と考えることがよくあった。主体的とはどういうことか、学びとは何か、いろいろな角度から考えてきた。ただ、いつも最終的に行きつくのは、子どもの幸せと指導者である自分の幸せのためという答えである。人によって幸せの定義は異なるため、何

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