一方で,下段では見えるーぺの運用に関する指導者の戸惑いが語られている。見えるーぺは,児童生徒の思考過程で発揮されている視点を可視化して価値付けたり意味付けたりすることを通して,視点の自覚的運用を促すために用いることを想定していた。下線①の用い方である。それに対し下線②では学習対象をどのように捉えて単元の学習を進めたのか,その学習過程を価値付けたり意味付けたりすることを通して,視点の自覚的運用を促すために見えるーぺが用いられている。 54 これまでも子どもたちが予想を出し合ったりするとき何を言おうとしているのかよく分からず,どう扱っていいのか困ることがあった。今もなくはないが,見えるーぺが助けてくれるときもある。もしかしたら今までスルーしてきた意見も,子どもが言いたかったのは実はこういうことだったということがあるのかもしれない。 最初は見えるーぺをどう使えばいいか戸惑うこともあった。今では①子どもたちの考えを意味付けたり価値付けたりするときに(見えるーぺを)使うことが多い。しかし②文化という視点に着目して貴族の暮らし(平安時代)の単元を学習したときは,「文化という見えるーぺが時代の特色をつかむための一つの道具になる」という感じで使用した。二つの使い方は何となく違う気がして…。まだまだ上手く使えているとは言えないが,続けて使用してい るとそうした戸惑いはなくなっている。 上段の意見と同様の意見は研究1年次,中学校の指導者からも聞かれた。見えるーぺが児童たちの意 “文化”という視点を分けて,衣・食・住もあったら子どもたちもイメージしやすいだろうなと思うときがある。視点という方がしっくりくるときもあるのですけど… ぴったしあてはまるものがないときがあるっていうか“地質”とか,わりと細かくないですか?ざっくり自然環境でまとめてある方が使いやすいと思うときがある (中学校3年生) 上記の聞き取りの内容は,これまでの指導の在り方を自省する気持ちや具体的方策を得た手応えが語られている。これらの全てが見えるーぺの運用によるものではないにしても,その影響や効果も感じられよう。以下は小学校の指導者の意見である。 この 手立てのうち「知識をつけるだけでなく,力をつけることが大切だ」という意識がより高まったことや,その力を高める具体的な方策を得た手応えを語ったうえで,この見えるーぺについて, 見を見取る指導者の支援ツールとして小中の隔てなく機能したことがわかる。 指導者が「何となく違う気がして」と述べているように,児童生徒の考えを可視化して価値付ける用い方と単元の学習過程を価値付ける用い方は確かに違う。しかしいずれも誤ってはいない。 どちらの用い方も,何かの視点に着目して事象を捉える力を育み,その自覚的運用を意図している点で同じだからである。「戸惑い」ながら使用した指導者には申し訳なく思う。しかし見えるーぺが指導者にとって単元の学習を新たにデザインするきっかけになっていたとすれば,資質・能力ベースの授業への転換を促す効果にも期待できそうである。 なお見えるーぺについては,実践を進める過程で小学校の指導者から次の提案があった。 どちらも小中の系統性に関わるものである。中学校における実践後の振り返りでは,生徒によるものにはなるが,見えるーぺの小中の系統について示唆する次の意見も述べられた。 昨年,中学2年生の実践で「地質」という見えるーぺが大活躍したことがあった。九州のシラスや畑の砂,関東ロームの砂をもってきて,地質の視点から関東地方の農業生産を考えた授業だ。上の発言をしてくれた生徒は,当時の授業で,椅子から立って実験の様子を食い入るように観察していた生徒のうちの一人である。 学習してきたいろいろな知識が頭の中でつながっていくことによって,一つのまとまりとして事象を捉えることができるようになってきている印象がある。奈須のいうように(p.8),こうした生徒は一つ一つの具体を示さなくても,自然環境という名前の付いた「お道具箱」の中に気候や地形などが関連付いて整理され,いつでも自由に取り出せる状況になりつつあるのだろう。 三人の発言の内容から示唆されるのは,学齢が進むにつれて具体をまとめて抽象化して考えられるようになるということである。第2章第2節(2)で,見えるーぺについて「学齢が進む中学生ほど,数を増やせばよいのか,抽象度を高めて減らしていけばよいのか,実践を進めながら見極めていく」と述(6年生指導者) 小・中学校 教科指導(社会科) 20 “協力”という視点があってもいいかも…と思うときがあります。“つながり”というこの見えるーぺでいけるんですけど。つながりっていろいろあって大きいから (5年生指導者)
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