001総教C030705H28最終稿(西田)
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8 図1-3 教え込み型としみ込み型の比較 教え込み型は,「教える側(指導者)」と「教えられる側(学習者)」の役割がはっきり分かれており,明確なカリキュラム に沿って教えられる。役割がはっきりしているので,無意識のうちに上下の関係となりやすく,自分のもつ知識や技能を伝えようとしすぎてしまう傾向ある。学習者の姿勢が,何かを教えてもらうという受け身になりがちで,指導者の指導性が強小学校 体育科教育 4 まるがゆえに,成果を指導者に求めてしまうという事態も起こりうる。高度成長期の時代は,できるだけ短い時間に,いかに効率よく子どもたちに正しい「きちんとした知」を教え込むことが社会のためだという教育を行ってきた。社会が求めることに対応して教育が進められると,このような教え込みの教育になることは当然であるといえる。 一方,しみ込み型は,教える者と学ぶ者との役割が曖昧であり,子どもは「自然に」学ぶという前提に立つ。日本の職人や芸能の師匠と弟子の関係,親子関係では,一つ一つ教え込むのではなく,師匠や親のすることを模倣したり,疑問に思ったことを質問したり試したりすることによって,環境を整えていくという方法が取られている。そこでは,知識が集積されていくことより,総合的な判断力が培われていくことに重点が置かれていて,上達したかどうかは,量的ではなく質的に評価される。つまり,社会の状況は常に変化しており,いったん獲得した正しいとされる知識が,次の瞬間にも正しいとは限らないということである。したがって,「よいかげんの知」をしみ込み型の学びで獲得することが,高度情報化時代,つまり,あいまいで複雑に情報が絡み合い,しかも真実や価値観が常に変化している現在には必要であるということである。 体育学習ではどうであろうか。教え込み型では,正しいとされる技能を子どもたちに段階的に教えられ,一つ一つ丁寧に指導される。スモールステップという手段が用いられ,子どもたちを一斉に指導し,先生の引いたレールの上を着実に進むように仕組んでいく。ある子は,自分の今ある力とかけ離れた課題を与えられ,自分の求めていない技を「やらねばならない技」として,練習させられる状況に追い込まれるかもしれない。ある子は,ボールゲームにおいて,「ボールを持たない動き」を身につけさせようとする先生の指導の下,ゲームにつながるであろう動きの練習を段階的に行い,練習が終わると,「やっとゲームができる」と安堵感をもつかもしれない。 スモールステップでの指導や,ドリルゲーム,タスクゲームなど,それぞれの方法を否定しているのではない。教え込み型では,運動やスポーツを行う主体である子どもの思いや考え,発達段階などが軽視されることが多く起こることが問題なのである。基礎・基本の習得を重視するあまり,知識や技能を身につけさせる授業になることもあるのではないだろうか。 目の前の子どもたちから見た運動の特性を明らかにして,子どもたちの求める楽しさを十分に味わうことができる学習過程を仕組むことである。運動の楽しみ方は多様であり,何を教えるのかという指導者目線よりも,何を学ぼうとしているのかという子ども目線でとらえた学習を展開していくべきである。「この学級の子どもたちには,リレーを競争型でとらえるとよいのではないか」や「達成型でとらえる方が楽しさをより実感できるのではないか」といったことを考えるということである。そうすることが,遊びの本質を味わうことのできる体育学習につながるのではないのだろうか。 第3節 遊びと学びの関係 (1)これからの時代に求められる教育と体育 変化の激しい現代社会においては,学校で学んだ知識や技能を定型的に適用して解ける問題は少なく,問題に直面した時点で集められる情報や知識を入手し,それを統合して新しい答えを創り出す力が求められている。 渡部は,「状況」がその「学び」に対し大きな影響を及ぼすと考える認知科学の立場から,現代社会における教育について検討した。 伝統芸能や民俗芸能の教育の現場では,師匠や講師が学校教育現場と同様に,知識や技能を何とかして後進に教えたいと願っている。彼らは,正確な知識を系統的に伝えていく「教え込み型」ではなく,「しみ込み型」(13)の学びを大切にしているという。 教え込み型としみ込み型の違いについてもう少し述べたい。図1-3は,教え込み型としみ込み型の学びを比較してまとめたものである。

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