6 ① 自由な活動 ② 隔離活動 ③ 不確定の活動 ④ 非生産的活動 ⑤ ルールのある活動 ⑥ 虚構的活動 (6) 図1-1 カイヨワの遊びの分類(7) 一部筆者改変 び,アレア=偶然に身を委ねる遊び,ミミクリー=模倣変身の遊び,イリンクス=めまいを追及する遊びと分類し, 小学校 体育科教育 2 遊びは,決められたルールに従い,非日常的,没利害的で参加者の自発的で自由な意思によって行われるということである。つまり,強制され,命令されて行われる遊びは,もはや遊びではないし,ルールを一方的に破るようなことが起きても遊びとはならないのである。 (2)カイヨワのプレイ論 ロジェ・カイヨワは,著書「遊びと人間」で,遊びを,「自由で自発的な活動,喜びと楽しみの源泉」(5)と定義し,遊びの特徴を以下のように述べている。 カイヨワは,遊びの定義に基づいて,遊びの発達段階をパイディアからルドゥスという言葉で説明している。パイディア(遊戯) とは,気晴らし,騒ぎ,即興,無邪気な発散などの統制されていない気紛れであり,遊びがルールや名前すらもたない段階としている。無秩序でルールすらないパイディアの段階に,きまりやわざ,道具などが現れ,遊びが組織化されていく。ルドゥス(競技)とは,パイディアと正反対で,「秩序」を志向する窮屈な規則がある段階としている。遊びは,パイディアの状態から,厳密なルールに従わせ,緊張を求めるルドゥスへ発展していくと考えられている。また,カイヨワは,遊びをアゴン,アレア,ミミクリー,イリンクスの四つのカテゴリーで分類する考え方を提案している。図1-1は,カイヨワの遊びの分類をまとめたものである。アゴン=競争の遊 下から上へパイディアの要素が減り,ルドゥスの要素が増す。さらに,遊びは勝とうとする意欲を前提としているが,原則として敵を信頼し,敵意なしに敵と戦うこと,敗北を受け入れることも大切なことだと述べている。 第2節 遊びと体育 (1)プレイ論を体育科に取り入れる ホイジンガとカイヨワのプレイ論を踏まえて,スポーツを見つめ直すと,スポーツが遊びの特徴を多く備えていることに気付く。スポーツは,自発的に行う身体活動であり,ルールを設けその中で自由な能力の発揮と挑戦を試み,最善を尽くしてフェアププレイに終始することを目標にしている。つまり,遊びの原理は,スポーツの原理であり,スポーツも遊びの一部だということがいえる。ここで,体育の学習内容を構成するスポーツやダンスなどの運動が遊びの領域に位置づけられ,遊びの本質である面白さや楽しさを求めて体育学習を進めていくという可能性が浮かび上がる。カイヨワの遊びの分類の中で,アゴンは,競争という形をとる遊びで,自分の勝利や成功を求めるため,訓練,たゆまぬ努力が前提となる。相手と競い,自分の優越性を示すために,人為的にルールが決められる。スポーツはこのアゴンに含まれると考えることができる。また,ミミクリーは,その人格を一時的に忘れ,偽装し,捨て去り,別の人格を装う遊びである。ダンスはこのミミクリーに含まれると考えることができる。 遊びとしての体育学習では,子どもたちの自主性が尊重され,子どもたちの創意工夫が生かされるような展開となるべきである。運動が強制されるような体育学習となれば,自由な活動としての遊びの条件から外れ,楽しさを味わうことができない。勝ち負けが初めから分かっていたり,自分の能力と掛け離れた課題であったりすると,意欲がなくなるので,不確定性も大切である。 一方で,プレイ論を基にするスポーツやダンスを授業の中で成立させることは,実に困難であるともいえる。なぜなら授業は,やらねばならないという強制の意味合いを前提としているからである。しかし,楽しさを実感し夢中になってスポーツに取り組み,全力を尽くす姿から,遊びとしての体育学習を成立させることは可能ではないだろうか。つまり,サッカーやバスケットボール,器械運動などの学習を進めるとき,アゴンの遊びの視点で,どのような楽しさがあるのか,どのような面白さがあるのかを明らかにすれば,遊びの本質を味わう学習となるのではないか。したがって,
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