001総教C030705H28最終稿(西田)
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30 ○パスアンドシュートなどでは必ず勝ち負けがあり,大きくもめる原因の一つでした。また,体育に限ったことではなく,休み時間の外遊びでも(勝敗がはっきりするもの)同様のことが起こっていました。しかし,①楽しく体育の授業を重ねるごとに,折り合いの付け方を少しずつ学ぶことで,休み時間のもめごとが格段と減ったように感じます。「まあそんなこともあるやろ」「笑ってすませよう」「ええやん」そんな声も上がるようになってきました。 ○S児は,鉄棒が苦手で,休憩時間にも特定の子としか遊ばないような子だったのですが,鉄棒のスゴロクがとても気に入って,②自分からいろんな友達を誘って休憩時間にスゴロクをして楽しむ姿が見られました。 ○みんなあそびの質が変わってきたように思う。③自分たちで楽しく遊べるルールを工夫できるようになった。また,もめたらけんか腰ではなく,話し合うようになってきた。 (波線は筆者による) た先生方を対象に行った事後アンケートにおける「社会性は高まったか,主体性は高まったか」に対する自由記述をまとめたものである。 「①楽しく体育の授業を重ねるごとに,折り合いの付け方を少しずつ学ぶことで,休み時間のもめごとが格段と減った」という記述から,体育の時間で自然に学び取ったことが,日々の生活につながっているということがわかる。実践の中で,「友だちと意見が食い違った時にどうやって解決していくか」ということを指導したわけではない。児童が,楽しさを味わう過程で,①のような社会性は育まれていったと推測できる。また,鉄棒が苦手であったS児に,「②自分からいろんな友達を誘って」休憩時間にスゴロクをして楽しむ姿が見られたという記述から,体育授業で自分が心から楽しいと感じる遊びを経験することで,興味関心が高まり,自ら友だちを誘うという行動につながったと推測できる。更に,「③自分たちで楽しく遊べるルールを工夫できるようになった」という記述からも,主体性の向上を読み取ることができる。 このように,どの記述からも,児童の社会性や主体性の向上を感じさせられる内容が読み取れた。その前提となるものが,「楽しさ」を味わったからということなのである。楽しく授業を重ねるごとに,トラブルの解決方法を自分たちなりに身に付けていった。また,授業で楽しさを実感したからこそ,自分から友だちを誘い,楽しむようになった。更に,授業で様々な遊びの楽しさを実感したからこそ,休み時間も楽しさを求めて,自らルールの工夫をするようになったのだ。社会性や主体性の向上の前提となるのは,やはり楽しさを味わうということなのではないだろうか。 (3)課題について 遊び=学びという立場で授業を行うことで,児童が楽しさを味わいながら,社会性や主体性の向上につながるということが分かってきた。しかし一方で,事後アンケートの記述から,以下のような三点の課題も分かってきた。 一点目は,事後アンケートで多くの先生からいただいた内容である。短い時間の実践で,その瞬間は,「楽しく活動して,進んで準備,後片付けができた」「友だちと協力することができた」という短期的な成果は得られた。しかし,小学校生活は六年という長いスパンである。今回の実践が即効果を示し,今後の体育授業はもちろんのこと,学校生活全般において,児童の社会性や主体性の向上に効果があるかどうかは明らかにできていない。この問題については,六年間を通じて,継続的に,実践を重ねていく必要がある。二点目は,学びの姿を明確にしなければならないという問題である。つまり,児童が自由に遊ぶということを強調するあまり,学びの部分が疎かになってしまいがちだということだ。学びの姿を明確にするためにも,三点目の実態把握は大切である。本研究においても,研究協力校児童の実態を十分に把握した段階で,授業を行えたわけではない。その結果,指導者が当初予定していた遊びが,児童の実態にそぐわなかったということもあった。児童の実態が全ての始まりであり,それがあってこそ教材との豊かな出会いが生まれるのである。 第2節 遊びの中の学びとは (1)遊び=学びの学習スタイル 研究のまとめとして,筆者が考える,遊び=学びの学習スタイルとなるための四つのポイントを整理して述べたい。 ①社会性や主体性の向上につながるきっかけとなったが,それが,将来の社会性や主体性につながるのか定かではない。 ②児童が自由に活動できる学習を組み立てることで,指導したい内容と児童の求めるものをつなぐことに困難をきたすことがある。 ③児童の実態を明確に把握していなければ,指導者主導の教え込み型授業となる恐れがある。 小学校 体育科教育 26

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