今,あたりまえのように親には教えてもらっている こと,兄,姉,弟に自分のことを思ってしてもらって いることを常に最後の言葉として捉えながら生きてい く。また,祖父母,曾祖父母もいないと,僕たちは生 まれてこなかった。この中でも祖父との思い出が深く, 良いことがたくさんある。しかも,一番年齢が高く, 死が近い為,これからもっとしゃべりたい。 ここには,(A)からの視点で自分以外の大事な人の命が失われる事態を考えさせたことで,その痛みを具体的に自分の身近な存在につなげて生命の大切さを考えることができていた。 この授業を振り返り,一日一日,一時間一時間が大 切なことがわかりました。この例のように,現実には 神からのお告げはないので一時を大切にし,日々思い 出をつくり,いつ亡くなっても後悔しない生き方をで きれば,それは素晴らしいものだと思いました。 ここではしっかりと「神からのお告げはないので」と記しているように,現実に即した実践の意展開への幅が増えるということでもある。 この授業では「死ぬ前にはこうすれば後悔しない」という「理想的ではあるが実現性を想定していない回答」に対して,「実際には死期をはっきり知ることはできない」という事実を提示した。これは単に「現実は厳しい」ということを示すのではなく,それを踏まえてなお理想をどのように現実化するか思考させるためという「くさびの発問」である。 そしてその発問を生かし,さらに深化を図るために,あえて逆の状況を想定させた「不意の死が訪れた場合」についての発問である。これらの追加の発問により,生徒は「死は予告なく訪れる」ことと「死ぬ前に悔いが残ることはつらいことだ」という二つの難題に対して,わが身に振り返って考えを深めた。そうして「悔いなく死ぬこと」は「悔いなく生きること」に通じることを学んでいたのである。 最後にまとめとして,もう一度テーマとなる内容項目そのものにつながる発問を行ったのが(D)の部分になる。「命について」しかも「自分自身の」を考えさせることで,今回の授業で学んだことが自分の生き方につながり,どう生きるかが示されるのである。 授業後に振り返ったある生徒のワークシートの記述を以下の枠内に抜粋して示す。 また,「現実には死期を知ることはできない」というくさびの発問である(C)の視点から生徒が考えた振り返りを以下の枠内に抜粋して示す。 識化につながった思考ができていることがわかる。 最後に(D)の視点から,テーマ発問を受けて,生徒が考えた振り返りの例を以下の枠内に示す。 (3)B中学校での授業プランの見直し 次に,昨年から継続して研究協力校となっているB中学校でアクティブ・ラーニングの視点の導入について積極的に取り組んだ授業プランを解説する。C(14)家族愛を扱った「父とピアノ」の指導案を,図3-9として示す。 自分の生命があることがどれほどの奇跡かを考える ことができれば,自然と自分の命を含め,すべての命 を大切に思うことができると思う。生きているという のは自分がこの世に存在し,誰かに影響を与えられ, 与えているということだと思う。それが悪い影響であ れ,自分の生きた証には変わらないけど,同じ“生き る”なら周りに良い影響を与えながら存在し,死を惜 しまれる人になりたい。有限な生命を消費しながら“日 常”と少しの“特別”を積み重ねていきたいと思った。 このように授業プランを変更した結果,「象の背中」の授業での生徒の自己評価は,「4.35」となった。A中学校の三年生で年間を通して道徳の時間を受けての自己評価の尺度平均は「5.00」満点で「4.03」であったなか,「象の背中」の「4.35」という尺度は,一年間で最も高い尺度平均となった。このような結果からも授業プランの見直しに行った幾つかの働きかけで,生徒に及ぼす効果が向上することが証明された。 図3-9 C(14)家族愛「父とピアノ」の指導案 中学校 道徳教育 25 E F G
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