の設定が不十分な単なる生活経験の話合いや読み物教 材の登場人物の心情理解に終始する「読み取り」指導 の双方を避けつつ,これまで積み上げられてきた指導 上の蓄積を生かしながら問題解決的な学習や体験的な 学習などを含めた質の高い多様な指導方法に関する実 践や研究を深め,教育界としてその成果を共有するこ とが必要である。(27) もちろんここまでの授業法がすべて間違いというわけではない。これからはスタイルの変更に合わせて,良い部分は残しながらも,指導方法を改善,変更していく必要があるということである。 読み物教材の代表的な展開では,「児童生徒は,資料の世界にどっぷりと浸り,主人公に自分を重ねて生き方について考えます。客観的に外から主人公の生き方を考えるのではなく,いわば主人公の着ぐるみを着たように,主人公になりきって考えさせることが大切」(28)とされた。また,その利点としても,「登場人物の追体験により,得難い経験を得る」「高い道徳性に背伸びして思考できる」「発言しやすくなる」という三点が上げられた。 例えば,自分の思いを伝え,相手の思いを酌むため には具体的にどう行動すれば良いかという側面に関 する教育が十分でない。 ・道徳の時間の授業で何を学ばせようとしているのか を児童生徒にも理解させた上で,具体的に実践させ たり,振り返らせたりする指導が十分でない。 ・道徳の時間と特別活動をはじめとする各教科等との 役割分担や関連を意識した指導が十分でない。 ・地域間,学校間,教師間の差が大きく,道徳教育に 関する理解や道徳の時間の指導方法にばらつきが大 きい。(26) を進め,生徒の学びへの励ましを担うパートナーとなってもらうためにも,有効な働きかけになると思われる。こうして示した評価を,生徒と保護者に示し,その満足度を調査することで,より真情に迫る評価への参考とする。 (5) 授業展開・手法の見直し(3a) 道徳で自己評価に取り組むもう一つの視点は,教師の授業力の向上に寄与する期待である。特に,今回の「特別の教科 道徳」の学習指導要領改定にはその影が色濃く見える。また「考え,議論する道徳」と打ち出された背景には,これからの教育すべてが「生徒主体で思考を深める学び」に向かう中,特別の教科 道徳で先行して示すという意志が見える。 しかし,今現在でさえも,教師は教科化に向けてもう一度道徳教育の基本などの学び直しに取り組まねばならない現状がある。「主体的・対話的で深い学び」の導入は,その取組と並行しながら,新しい視点での道徳の授業力向上を,現場で授業をこなしながら,行わねばならないのである。 では具体的にどのような問題点が学校現場での道徳の授業にあるというのだろうか。道徳の時間の教科化が検討される過程で文部科学省の教育課程部会に示された,道徳の指導に関する問題点についての調査結果を以下に示す。 ・現代の子供たちにとって現実味のある授業となって ・児童生徒の発達の段階に即した道徳の時間の指導方 ・道徳の時間の指導方法に不安を抱える教師が多く, ・道徳の時間の指導が道徳的価値の理解に偏りがちで,おらず,学年が上がるにつれて,道徳の時間に関する児童生徒の受け止めが良くない状況がある。 法の開発・普及が十分でない。 授業方法が,単に読み物の登場人物の心情を理解させるだけなどの型にはまったものになりがちである。 中でも読み物教材については,先に文部科学省が「評価に関する専門家会議」の中で,現場の取り扱いに偏りが見られる場合があることを指摘し,「考え,議論する道徳」への方向転換を促している。会議の資料から抜粋して,以下の枠内に引用して示す。 しかしながら,中には場面理解だけに授業展開がとどまり,自己の実践意欲への振り返りにつながらない場合もあった。そのような極端な運用が道徳的な学びを狭めてしまった面もある。道徳的価値理解についてある程度の域に達し,メタ認知も社会的な広がりを得た中学校の生徒にとって,物語の登場人物としてのみ完結する授業は,現実につながらない閉じられた授業と受け止められ,自分たちの実践力への意識につながりにくくなることも考えられるわけである。 また,生徒に「考えの背伸び」をさせた場合についても,生身としての自分の考えが「考えの背伸び」から生みだされた思考と乖離してしまうことが可能性として浮上する。「道徳的判断力」は「物語の登場人物」としてどんどん高くなるが,現実の自分は理想に置いていかれ,「道徳的実践意欲と態度」になかなかつながらないということになりかねない。両者をつなぐ工夫が必要となっ具体的には,道徳科の特質を踏まえ,主題やねらい中学校 道徳教育 14
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