学習状況や道徳性に係る成長の様子を継続的に把握 し,指導に生かすように努める必要がある。ただし, 数値などによる評価は行わないものとする。(15) ※下線は筆者による このように,継続的に把握する対象が,「道徳性」という判定するのが困難な対象から,より明確に判定できる「学習状況や道徳性に係る成長の様子」であることをはっきりと明記された。そのことによって,道徳の時間で評価を行う対象は「その生徒の根本の人間性」ではなく,「その道徳の授業時間内での変化」であることが意識されたわけである。 ・他の生徒との比較による相対評価ではなく,生徒が いかに成長したかを積極的に受け止め,励ます個人 内評価として行うこと。 ・他の生徒と比較して優劣を決めるような評価はなじ まないことに留意する必要があること。 (17) 以上のことを念頭に置いたがゆえに,道徳教育は「特別の教科」という位置付けにされたのであり,評価に対して配慮と工夫がなされていることがうかがえる。目指したものは「常に生徒の立場に立って生徒を受容し尊重する共感的かつ確かな生徒理解に基づく道徳性の評価」(18)なのである。 今回の道徳の特別教科化は,子供たちが,答えが一つ でない問題に向き合い,『考え,議論する道徳』に取 り組む中で,自立した人間としてよりよく生きようと する意志や能力を育むことを目的としており,約60 年に及ぶ道徳教育の大きな転換だと考えております (中略)これからの多様化の社会の中で,道徳の教材 を通じて,子供たちがアクティブラーニング,議論を しながら正義というのは必ずしも一つの見方だけが 正しいわけでなく,いろいろな角度から見たときに, いろいろな考え方があるということを学校の道徳の 時間の中で,子供たちが積極的に参加する,議論する ことによって,(中略)事件を減少させていくという ことにつながっていくことを,是非期待したい。(19) つまり,今回の一部改正のねらいでは「多様な価値観を踏まえた道徳」と「考え,議論する道徳」という指針が示された。現実世界での様々な課題に対応していくために,特別の教科である道徳では,人間としての生き方や社会の在り方について,多様な価値観の存在を前提にして,生徒に広い視野から多面的・多角的思考を促すことを行うことが推奨されたわけである。 このような評価方法は,「数値」による評価ではない としても,結局は子どもの内心や人格そのものを「評 価」の対象としている以上,自ずとそれに優劣をつけ ることになるであろう。(16) しかし,従来の教科で見られた評価と,今回の特別の教科である道徳の時間での評価とでは,そのアプローチに大きな違いがある。教科の評価自体も「優劣」を判定する相対評価ではなくなってきている中,上記の懸念はそのことを意識せず,中学校 道徳教育 6 従来と同様に,道徳教育で下される評価を生徒の可否判定,道徳性の序列化と考えたことによって生じた混乱である。 もちろん,そのような評価の形は道徳教育に評価の視点を導入する際の本意ではなく,今回の一部改正でも,以下の二点に注意が払われた。 (2)多様な価値観・議論する道徳 次は具体的に,学習指導要領の一部改訂のねらいについて,告示の際に下村前文部科学大臣が行った会見内容を,以下の枠内に示して探ってみる。 従来の道徳でもモラルジレンマ教材や複数の内容項目を取り扱った教材は存在したが,主な教材◆従来の「教科での評価」を連想する点 次に,道徳の評価を困難にしているもう一つの点として,多くの人が道徳の授業の評価に,従来の「教科での評価」へ対するイメージを当てはめたことをあげてみたい。 従来の「教科での評価」とは,授業で教授した内容をペーパーテストで総括的に検査し,できていなかった部分を満点から減点して,その教科について,その生徒のもつ,優れている点,不足の点を判定し,その可否を提示するという側面をもっていた。 しかしながら,道徳教育は単なる知識を問うわけではなく,心という測りにくいものを問うものであり,そこへの評定として「不足である」と教師が判定した結果を,生徒が簡単に受容できるとは考えにくい。また,その判定者である教師が何を基準としてその生徒の道徳性を判断したのかなど,説明責任を果たすことも難しいであろう。ましてや,そのような齟齬を生み出しかねない評価が,その生徒の道徳性を成長させる作用を生み出すだろうか。 髙中が出した声明にもそのような懸念が見て取れる。以下の枠内に示す。
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