001総教C030705H27最終稿(中山)
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○ 中学校では,新規採用教師は副担任となることが ○ 中学校の場合,例えば生命尊重や家族愛など特定 ○ 中学校では,学年段階,学校段階によって内容が 検定教科書が供給されることとなった後も,道徳教育 の特性に鑑みれば,教科書の内容を一方的に教え込む ような指導が不適切であることは言うまでもない。ま た,教科書のみを使用するのではなく,各地域に根ざ した郷土資料など,多様な教材を併せて活用すること が重要と考えられる。国や地方公共団体には,道徳教 育の教材の開発・活用のため,引き続き支援の充実に 努めることが求められる。(28) 次に,担任以外が道徳の授業を受けもつことの是非についてだが, かねてより「原則として道徳の授業は担任が行うべき」という主張は強く,その理由としては,学級担任が児童生徒に関する情報を多くもち合わせており,その実態に精通していること,時間的にも触れ合うことが多く,継続的に道徳性の成長を見ることができるとされ,担任における優位性が唱えられてきた。 道徳が教科化されるに伴い,現職の教師は勤務しながら,道徳の専門的な指導法を学んでいかねばならない。OJTの視点からも,持ち回り道徳の導入は妥当なものだといえる。 道徳の教科化に当たり,学校現場でチームとして道徳教育と向き合う方策について,協議は重ねられており,「道徳教育専門部会」でもローテーション道徳(持ち回り道徳)を含む,学年全体で取り組む道徳について意見が交換された。出された意見を次の枠内に示す。 (6)年間の文言評価につながる自己評価 道徳性の評価の基盤には,教師と生徒との人格的な触れ合いによる共感的な理解が存在することが重要とされる。その上で,生徒の成長を見守り,努力を認めたり,励ましたりすることによって,生徒が自らの成長を実感し,更に意欲的に取り組もうとするきっかけとなるような評価を目指すべきである。よってそのような視点に立ち,生徒の一つ一つの発言を傾聴し,その内面を推察し,受け止めようとしていたかが重要となる。 その面でも「生徒による自己評価の記録」は効果が期待される。もちろん,尺度による自己評価で出た数値を評価にスライドさせないことが前提である。あくまで個人内評価であり,その個人の尺度が一般的な基準と同列ではないからである。よってその値は参考値として扱い,また,節目ごとの振り返りも実施するなど,繰り返し,生徒本人によっての振り返りを行った上で,その記述にも当たることが望ましい。 多く,道徳の授業をする機会が何年後かになってしまう。若手の教師に,優れた実践を行っている教師の模擬授業を見せたり,担任に代わって道徳の授業をさせ,担任とティームティーチングで指導するなどの取組が重要 の内容項目について長(た)けた指導力をもっている教師が,その特定の内容項目について全ての学級を指導することで,道徳の時間がかなり充実したものになる 高度化,進化していくということを踏まえれば,学級担任を原則としつつも,ローテーションのような柔軟な指導体制ということについて検討するべき (30) 中学校 道徳教育 17 発する必要性があるのかを疑問視する声も存在している。 しかしながら,教材を自作・手直しする経験は,教師自身が道徳教育に向き合い,研鑽する機会を与えてくれる。内容項目に対して,「なぜそれが必要なのか」「どのように生徒たちにアプローチすれば考えが深まるのか」などの課題に正面から取り組むことで,教師の授業力は向上すると考えられる。また,検定教科書を導入する立場の文部科学省も,道徳の授業で検定教科書のみを使うことは推奨しておらず,多様な教材が提供されるべきだという立場を表明している。「道徳に係る教育課程の改善等について(答申)」の中で述べられた多様な教材の推奨について記述された部分を以下に引用する。 しかし,現行の学習指導要領では,「学級担任の教師が行うことを原則とするが,校長や教頭などの参加,他の教師との協力的な指導などについて工夫し,道徳教育推進教師を中心とした指導体制を充実すること」(29)という記述で,「道徳の授業は必ずしも学級担任がしなければいけないわけではない」ことを明文化している。 更に近年になって,文部科学省の道徳有識者会議などで,担任以外が1時間は道徳の授業を行うことが議論され,推奨される意見が出された。それはあくまでも「教育活動全体を通じて道徳教育を行うという意識が希薄になってしまうので,それを改善する」という視点であり,通常の道徳の授業を行う効果については,担任教師の方が有効であるという立場に変わりない。しかしながら,

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