001総教C030705H27最終稿(中山)
10/32

ルーブリックとは,評価基準の記述形式の一つを指す 用語です。いわゆる「客観テスト」では○か×かで採 点することができます。しかし,自由記述問題やパフ ォーマンス課題では,どの程度上手に問題に答えたり 課題をこなしたりしたか,成功の度合いには幅があり ます。そこで,成功の度合いを「5,4,3,2,1」の 点数や「A,B,C」の記号などの尺度で示しつつ,それ ぞれの点数・記号がどのような上手さを表しているの かを説明する採点指針が必要になります。(中略)表 形式の採点指針のことを,ルーブリックと呼びます。 (26) このルーブリックの思想を生徒の自己評価に応用し,生徒自身が自己の道徳性の成長を測定することを考える。その際,あくまで生徒の度合いを尺度によって評価するのは生徒自身であり,教師による外部からの尺度評価は行わないことを堅持する。第1節の(3)で紹介したように「数値などによる評価は行わない」という大原則に則るからである。 道徳の評価で大切なことは,子どもの納得である。だ から,自己評価や子ども同士の相互評価が大切なので ある。そのためには,子どもが自己評価するための観 点が明確になっていなければいけない。子どもの道徳 的内面を教師が主観のみで指導要録や通信表に評価 したとしても,その当事者である子どもや保護者はそ のまま素直に受け取れないに違いない。たとえ肯定的 に評価してあったとしても,それが教師の主観に基づ くものであるなら,学習当事者である子どもは納得し ないだろうし,不信感を増幅させることすらあり得る だろう。(25) また,道徳教育の目標が,道徳的な心情,理解,判断力,実践意欲と態度等の道徳性を養うことであることを考えれば,道徳の時間においてのその評価は,上記を踏まえた,「道徳的心情は豊かになったか」「道徳的価値が目指すものを理解できたか」「道徳的価値の自覚を深めることができたか」「道徳的判断力は培われたか」「道徳的実践意欲と態度は養えたか」などの振り返りによってその度合いが測れるようにすればよい。そしてそここでは道徳の学習の評価をするに当たって,根拠となるべき作成物に教師がきちんと当たった上で評価をするべきと示されているが,評価を行う対象に,作文やノートに加えて,「児童生徒の自己評価」の例が挙げられていることも注視するべきであろう。 道徳教育のもつ「児童生徒の良さを引き出し,評価する」というそのねらいからも,この形式は有効であると考える。なぜなら道徳の時間の評価とは,画一的な基準が存在するわけではなく,他者との比較によってランク付けされるものであってはならないからだ。 (4)自己評価に生かす尺度による測定 道徳の評価について,はたして生徒が納得する評価が出せるのか,という懸念も存在する。生徒の心の内面に関して,教師側のよほどの理解がなければ,納得できる評価を出すことは困難であろう。特にそれが教師側の主観のみに頼ったものであれば,評価される側に納得は生まれず,あまつさえ評価者である教師に対する不信が生じる事態にもなりかねない。生徒の豊かな心を育むための道徳教育が,生徒と教師間の軋轢を生み,相互不信につながるのでは,互いに心が疲弊する結果となり,本末転倒なのである。その危惧について,田沼は以下のように警鐘を鳴らしている。 中学校 道徳教育 8 の記録を毎時間,ポートフォリオとして蓄積していくのである。 そうして蓄積されたポートフォリオを評価していくわけであるが,その際に本人による記述から道徳性の成長を探ると同時に,深化の度合いを尺度によって自己評価させることも重要である。以下の枠に,西岡が示したルーブリックのポートフォリオ評価法を紹介する。 心情を度合いによって尺度化するねらいは,記述だけではその生徒の文章力により差異が生じる懸念とともに,本人の認識があやふやである部分を「究極の具体化」である尺度を考えさせることによって,明確化を図ろうという意図を考える。記述で表しきれない心情や深化の度合いを尺度化によって逆に表せるのではないかと期待するからである。また,今回の一部改正の際にも,発達障害等のある児童生徒に対する道徳科の指導についての取り扱いが議論されたが,書くことが苦手な生徒にとっても,尺度によって自らの学びを表現できる工夫は有効であると考える。 そして,それらを踏まえた上で,文章による記述方式を併用することも重要である。やはり文章記述は細やかな機微を表現することでの優位性が存在しているので,互いの利点で補完し合うことで,より細やかな評価につながると考えられる。 そうすることで毎週の生徒の成長とともに,生徒の年間を通しての道徳性の成長,授業ごとの変

元のページ  ../index.html#10

このブックを見る