第1章 人権教育をすすめるにあたって 第1節 人権教育の現状と課題 (1) 人権教育とは 人権教育 1 (1) デニス・ガボール(著)林雄二郎(訳)「成熟社会 新しい文明の選択」講談社 1973.3 (2) 人権教育検討委員会 京都市教育委員会「《学校における》人権教育をすすめるにあたって」2002.5, (2010.3改訂) http://www.city.kyoto.lg.jp/kyoiku/cmsfiles/contents/0000005/5812/gakkouniokerujinkenkyouikuwosusumeruniatatte.pdf 2016.3.4 い。このような状況を克服するために必要なものこそ,人権教育だと考える。 学校現場では,これまでも,児童生徒が集団の中の一員として存在しているのだという自覚をもち,自分だけでなく周りにいる人のことも大切にできる子どもの育成を目指して人権教育がすすめられてきた。しかし,いじめ問題など,児童生徒の人権に関わる問題は後を絶たず,そうした問題の質や表れ方が変化している中で,学校現場における人権教育の在り方を今一度見直す時期に来ているのではないだろうか。 京都市では,平成14(2002)年に人権教育の四つの視点を示した「《学校における》人権教育をすすめるにあたって」(2)が策定されている(以下,「指針」という)。更に,各学校では,人権教育全体計画が作成され,学校における全教育活動を人権の四つの視点でとらえて実践していくという骨格が出来上がっている。しかし,この計画に基づいた具体的な実践が,各学級においてどのように行われているかの検証は,十分にはできていないのが現状である。そこで,学校における児童生徒への人権教育の直接的な主体者である学級担任の取組について調査したいと考えた。 本研究では,児童生徒の人権感覚の育成に焦点を当てた人権教育について考える。授業観察を通して,児童生徒の自尊感情や他者に対する意識を高める学級担任の発言について調査・分析した。 平成12(2000)年12月に人権教育及び人権啓発の推進に関する法律(以下「人権及び啓発推進法」という)が施行された。その中で,「人権教育とは,『人権尊重の精神の涵養を目的とする教育活動』である」(3)と定義されている。人権尊重の理念については,平成9(1997)年7月に出された人権擁はじめに イギリスの物理学者ガボールは,昭和47(1972)年に出版した著書の中で21世紀の社会のビジョンを成熟社会という言葉で表現している。成熟社会とは,「量的拡大のみを追求する経済成長が終息に向かう中で,精神的豊かさや生活の質の向上を重視する,平和で自由な社会」(1)だという。物質的な豊かさの追求から,精神的な豊かさの追求へと思考を転換していくことが,平和で自由な社会の実現につながると述べている。 成熟社会という言葉が示す精神的な豊かさとは,自分の置かれている環境に満足感や充実感を感じながら生きること,そして,自分の能力を十分に発揮できる社会で生活していると感じ,そこで価値ある人間として存在していると実感できることであると考える。それぞれの生活環境の中で見出される自己実現の喜びや充足感,他者とのつながり・交流の中で感じられる幸福感が精神的な豊かさを更に深め,そうした豊かさが土台をなして,平和で自由な社会に発展していくということではないだろうか。 今,日本も,20世紀後半の経済成長の時代を経て,世界有数の経済大国として存在している。経済成長によりもたらされた物質的な豊かさは,わたしたちのライフスタイルを大きく変化させた。加えて21世紀に入って急速に発達したインターネットの普及の影響は非常に大きく,パソコンや携帯電話,スマートフォン,その他の携帯型タブレットなど,常に身の回りにインターネットとつながる環境が存在している。その中で,いつ,どこにいても世界中の情報を瞬時に手に入れることができるようになり,仕事や学習場面でも今では欠かせない存在となっている。インターネットは,このように私たちの生活を豊かにする一方で,匿名性の高いネットの世界では,誹謗中傷が横行し,子どもたちの世界にも影響をもたらし,「ネットいじめ」や「ネット依存」といった深刻な問題が新たに生み出されている。 自身のみではなく,他者や隣人においても,個人の充足と幸福感が守られることが当たり前であるのが成熟社会の正しい在り方である。それを,全ての人々が実感するための大切な要素の一つが「人権の共存」という理念ではないだろうか。この「人権の共存」という理念が広く理解され,生活化されることが重要であり必要であると考えるが,実際には,それがうまくできていない場面も多
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