001総教C030705H30河合最終稿
22/22

144 る姿であるとも言える。また,生徒Lのように同じ「問い」ではなくても,生徒F(p13)のように,毎回異なった「問い」を抱いていても,実はその「問い」がつながっており,読みを深めていく場合にも同じことが言える。そして,このような記述が見られる生徒の「問い」には,表2-2で分類した③または④に近い「問い」が見られるということも,教師側の視点として,留意しておくとよいだろう。 そのような視点で,生徒Mの自己評価シートを見ると,第1時のみ「問い」を記述しており,その答えが第2時の「考えたこと」に記述されていることが分かる。つまり,この生徒の中では,第2時で読むことが終了してしまっているのである。その証として,第3時以降は,読んだことの内容について全く触れていない。「なぜ引き返したのか」という「問い」は,分類①~②の「問い」であり,ある程度明確な答えが得られる「問い」である。このような生徒にこそ,さらに読みを深めていくような「発問」をすることが有効だろう。さらに,この生徒の考え度は第5時で下がっていたが,考えたことを見ると,この生徒にとって「自分が言えた」ときは考えたと思え,「他の意見を聞く」ときは考えたと思えない傾向があることも分かる。このような傾向が見られる生徒には,自分以外の考えから得たことをどのように自分の考えにつなげていくかということや,どのように聞くかということを重点的に指導していく必要がある。このように教師側が視点をもって生徒の自己評価を見ていくことで,観点別評価の材料と成り得るだけでなく,指導にも生かせるのではないかと考える。 さらに,前頁で引用した学習評価の在り方の二つ目には,粘り強さや学習を調整しようする態度は「相互に関わり合いながら立ち現れる」とあるが,今回自己評価シートの主な項目とした「考えたこと」と「問い」もつながっており,二つが相互に関わり合うという点においても,今回挙げた自己評価の二つの項目は,ある程度当てはまるのではないかと考える。ここで示した考えた方は,あくまで一例ではあるが,今後生徒の自己評価の在り方を考えていくにあたって,生徒にとっての意義だけではなく,評価の観点として教師が取り入れていくという視点をもっておくことは重要であると考える。そして,その評価が,そこで終わるのではなく,次の学びへつながるものであるという意識を強くもつことが評価の本来の役割を果たすことになる。 中学校 国語科教育 20 (5) 前掲(4) pp..174~177 (6) 文部科学省『児童生徒の学習評価の在り方について(報告)』2018.1.21 http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000181050 2019.3.1 p6 (7) (6) p13 (8) (6) p12 (9) 髙木展郎「カリキュラム・マネジメント成功の視点4 国語科における指導と評価の一体化」『教育科学 国語教育』 明治図書 2018.8 pp..120~121 また,図4-4で示したように,生徒個々のよさや頑張りと観点別評価が一致しないことに悩む教員は多い。その際,個人内評価と観点別評価は分けて考える必要があると述べたが(p18),全く別のものとして存在しているわけではなく,二つはつながっているのではないかと考える。自己評価の在り方を模索し,生徒が自己評価を繰り返す中で,生徒の自己評価力が向上していけば,個人内評価と観点別評価,生徒の自己評価と教師の評価も近づいていくのではないだろうか。教師が評価をする際には,二つの評価を別のものとして捉えていくことが重要である一方で,その二つを近づけていくことも必要であると考える。今回提案した自己評価の在り方が,二つの評価をつなげるきっかけとなり,一人一人の生徒のよさを引き出し,成長を支えるための評価の実現へとつながっていくことを期待する。 今回の実践において,自分の言葉と向き合い,考え,成長していく生徒の皆さんの姿から多くのことを学ぶことができた。一つ一つの言葉を豊かに捉えられる「言葉の力」が「考えること」を支えてくれるのではないかと思う。一つ一つの言葉に価値を見出し,考えようとする姿,考え続けることで言葉を豊かにしていく姿こそ,国語科における学び続ける生徒の姿と言えるだろう。そして,その姿を認め,支えていくことが教師の重要な役割なのではないだろうか。 実践の中で,一人一人の言葉が生き生きと輝いていた。京都市立大枝中学校,京都市立松原中学校の生徒の皆さんに何より感謝したい。そして,両校の校長先生をはじめ,研究協力員の先生,ご協力いただいた全ての教職員の皆様に心より感謝の意を表したい。 おわりに

元のページ  ../index.html#22

このブックを見る