66 あるいは本人が望んでいない」などの理由により,通級による指導を受けることが望ましいと判断されたにも関わらず,通級による指導を受けられていない児童生徒も存在している。LD等通級指導教室の認知度は社会的には高まっているものの,通常学級で指導を受けることに意義を見出す保護者や,在籍する学級以外で指導を受けることに抵抗のある児童生徒が少なからず存在するのである。 このような現状の中,LD等通級指導教室の設置数やそこでの実践の充実が進むだけで,全ての困りを抱える児童生徒の困りが解消するときが来るのだろうか。LD等通級指導教室の設置数の増補,指導内容のさらなる充実と同時に,現在学校が持つ専門性をさらに効果的に用いることのできる別の方法も模索すべき状態なのではないだろうか。 (3)児童生徒とソーシャルスキルの関係 学校は,各教科等の学習や学校生活全体を通して児童生徒の様々な力を育むことだけではなく,多様な個性をもつ児童生徒が集団で過ごすことを生かして,一人一人の社会性を高めることについても責を担っている。児童生徒は,様々なトラブルや葛藤,成功や失敗といった出来事を経験する中で,お互いに気持ちの良い振る舞いや集団での活動の仕方といったソーシャルスキルを少しずつ学んでいくのである。社会性の向上につながるこのような出来事は,各教科等の授業中にも,発言をするために挙手をして指名されるのを待つ,場面に合わせた言葉づかいをする,勝手に席を離れずに話を聞く,といった形で表れる。これら授業で求められる振る舞いを無意識のうちに児童生徒が理解し,以後の生活の中に反映させることで,ソーシャルスキルが獲得されていくのである。 しかし一方で,日々の学習や活動の中では自然に社会性を身に付けることができず,困りを抱えている児童生徒もいる。このような困りは児童生徒のこれまでの生育の環境,本人の性格や周りの集団との相性などによって,どの児童生徒にも起こりうるものであるが,LD等支援を必要とする児童生徒の場合は,より一層の困りを抱えていることも多い。 以下にこれら,LD等支援を必要とする児童生徒とソーシャルスキルの関わりについて述べる。 (ア)LD(学習障害) 聞く,話す,読む等の6つの領域のうち1つ以上の領域で困りが生じている場合にLDもし小学校 総合育成支援教育 4 くはLDの傾向があるとされる。この6つの領域の困りは,言語の困りと学力の困りに大別することができる。 言語の困りは,同年代の児童生徒と比較してうまく発音できない,語彙が増えないなどの状態が継続することでソーシャルスキルの形成に支障を来すことがある。うまく話すことができない,話したことが相手に伝わらないなどの場面を繰り返し経験する中で自信を無くし,周りとのコミュニケーションをとることに消極的になることがその要因であると考えられる。言語は友人関係の成立や維持と密接に関わっており,特に対人コミュニケーションにおいては年齢が上がるのとともにその重要度が増す。 学力の困りは,学習への参加やその学習が行われる学校への登校への意欲を著しく低下させることがある。これにより結果的にソーシャルスキルを学ぶ機会を逸し,ソーシャルスキルの未形成につながることが考えられる。 (イ)ADHD(注意欠陥/多動性障害) ADHDは不注意や多動を主とする行動上の特性がある。見通しをもって学習や活動に参加することや一斉指示の聞き取りが苦手である様子が見られる。これらの特徴は結果的にソーシャルスキルの未熟さに似た様子を示すため,行動上の特性による不適応行動とソーシャルスキルの未熟さが混同されてしまうことがある。 例えば,ADHDは自分が興味をもったおもちゃを友だちが持っている時,相手がおもちゃを貸してくれるまで待つのではなく,自分の手でおもちゃを奪い取ることを優位に選択しやすい傾向にある。(5)これは見通しをもって友だちがおもちゃを貸してくれるまで待つことができないという行動上の特性による不適応行動である。しかし,周囲の目には人から物を借りるためのソーシャルスキルが育っていないと捉えられるのである。多くの場合,このような行動上の困りとソーシャルスキルの未熟さを弁別することは難しいが,改善を促すための指導を計画する際に,特性に対して支援をするための方策なのか,ソーシャルスキルを育成するための方策なのかを明らかにする必要はあると考える。 また,ADHDの行動上の特徴によって,参加できる集団の場が少なくなるとその分だけソーシャルスキルを身に付ける機会は減ることになり,このような状態が長期間続けばソーシャルスキ
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