001総教C030705H29最終稿(河合)
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(23) 前掲(15) p61 (24) 文部科学省「中学校学習指導要領解説国語編」 http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/mi cro_detail/__icsFiles/afieldfile/2017/10/13/1387018_2.pdf 2018.3.2 p16 (25) 前掲(24) p11-12 おわりに 本研究での実践を行う中で,何度も協力校に足を運んだ。どちらの協力員も,忙しい合間をぬって時間を作って下さった。授業が終わるたびに,「こういう姿を見られたのはよかった」「きっとここがよかったのだろう」「生徒に困りが見られた」「ここはもう少しこうした方がいい」「この学級ではこうだけれど,こちらの学級ではこうしてみましょう」という会話を幾度と繰り返した。協力員と目の前にいる生徒たちのために試行錯誤を繰り返す時間が,筆者にとって何ものにもかえ難い貴重な時間となった。そのような授業について考える時間こそが,指導者自身の振返りであり,指導の改善につながるのだと感じる。 四つの実践のうち,『走れメロス』の実践が最後だった。ある学級での授業が終わった後,協力員がこのようにつぶやいた。「私は採用試験の面接で,どのような教師になりたいかと問われました。そのとき,教師が教科書を開けと言って開くのではなく,生徒が自分から教科書を開く,そんな授業ができる教師になりたいと答えました。私は,今日,それができたと思います。」 分の考えや他の人の考えを整理してまとめているかなど「関心・意欲・態度」の評価材料の一つとしていることは多いように思う。 今回の実践では,最初と最後の表出を意識して取り組んだ。最後の表出は,当然これまでの学習の過程があってこそ生まれるものである。最初と最後の表出における個々の変化については,見取ることが可能である。さらに,目標に照らし合わせ,生徒に与えた振返りの視点も取り入れながら見取ることで,「主体的に学習に取り組む態度」の評価材料になるのではないかと考えている。評価のうち「主体的に学習について取り組む態度」について述べてきたが,大まかな内容にとどまっている。実践研究を通して,評価とは生徒の力を伸ばすためのものだということをあらためて実感した。今後,生徒一人一人の「学びへ向かう力」を育てる評価の在り方について考え,授業とつながりのある評価を目指していくことが必要だろう。 中学校 国語教育 30 筆者自身,生徒の姿に感動し,また協力員の言葉に心打たれた。両校ともに,生徒たちが今の自分にできる「精一杯」で考え,仲間と高め合い,それぞれの思いや考えを表現してくれた。まず何より,ひたむきに授業に取り組んでくれた生徒たちに感謝したい。そして,本当に忙しい毎日の中で,共に悩み,生徒の学びについて考えて下さった二人の協力員に感謝している。また,本研究の趣旨を理解し,協力して下さった京都市立大枝中学校,京都市立衣笠中学校の全ての教職員の皆様に感謝の意を表したい。 最後に,今回の文学的文章における実践において感じたことを述べて結びとしたい。実践授業で生徒たちの姿を見ながら,昨年度受けもった生徒たちのリレー小説を思い出した。それは,次のような作品である。 「生きる意味」 人はなぜ生きているのだろう。 それはまだ誰にも分からない。 みんなが考えていることだ。 そして生きていれば、きっといいことがめぐってくる。 時には楽しいことも悲しいこともある。 死にたいと思うこともある。 でも人生は一度きり。 山あり谷ありの人生をどう生きるかは自分で考える。 生きる意味を考えて人生を歩むことが生きる意味なのだ。 1年生では,戦争という時代背景を抱えた作品を読むことで,生徒たちは「本当の悲しみ,苦しみとは何か」「生きるということ」について考えた。2年生では,勇者としてのメロスや単なる友情ではなく,一人の人としてとらえることで,人間の弱さに気付き,「人間らしく生きること」や「誰にでも弱さはあり,それをどう乗り越えるかが大切であること」を学んだ。「生き方」について悩み葛藤する中学生という時期だからこそ,学び得ることだと感じる。 授業での課題に向き合いながら,自分と向き合っている生徒。その生徒たちの一つ一つの言葉が美しく,かけがえのないものだ。本論文は,そのような思いもあり,実に多くの生徒たちの言葉をありのまま掲載している。両校の生徒たちの言葉は,これからも輝き続けることと思う。

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